現在、世界ランキング5位で、東京オリンピックでの活躍も期待されている
17歳の張本 智和選手。
日本のエース水谷隼選手を破る実力ある張本智和選手は、今後の日本卓球界を牽引していく存在となること間違いなし!!
今回は、そんな張本智和選手の家族構成、兄妹、両親について、中国から日本に帰化した理由まで、ご紹介します!!
目次
張本智和選手のプロフィール
名前:張本 智和(はりもと・ともかず)
生年月日:2003年6月27日
年齢:17歳(2020年12月現在)
出身:宮城県仙台市
身長:178cm(2020年12月時点)
血液型:O型
世界ランキング:5位(2020年12月時点)
:最高3位(2019年1月)
張本智和選手の家族構成は?
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張本智和選手の家族構成は、ご両親と妹さんの4人家族です。
父親の名前は、張本宇(はりもと・ゆ)さん
母親の名前は、張凌(ザイリン)さん
妹の名前は、張本 美和選手
現在、張本智和選手は、実家を出て、日本大学高等学校に進学しています。
お父さんはどんな人?元中国代表選手?
お父さんは、張本宇(はりもと・ゆ)さん(50)です。
中国の四川省出身で、元中国代表の卓球選手でした。日本へは、1998年に「仙台ジュニアクラブ」のコーチとして招かれた時です。
ちなみに、仙台ジュニアクラブは、あの有名は福原愛選手も所属していたことで知られる名門クラブです。
その後は、日本オリンピック委員会強化スタッフ、男子ジュニアナショナルチーム(JNT)コーチ、JOCエリートアカデミーサポートスタッフ、バタフライ・アドバイザリースタッフになってます。
お母さんはどんな人? 元中国代表選手?
お母さんは、張凌(ザイリン)さん(47)です。
張凌さんもまた中国の四川省出身で、元中国代表の卓球選手で全国大会でも優勝した実績があります。
マレーシア女子ナショナルチームの監督経験もあります。
あの卓球大国の中国で、代表選手になるなんで、ご両親とも凄い実力のある選手だったんですね!!
また、仙台市宮城野区で、「張本卓球場」を経営されています。
なんとこの「張本卓球場」は、ご両親が四川省と仙台の自宅を売り払って立ち上げたそうです。
妹はどんな人?張本美和選手!
妹さんは、張本美和選手です。
美和選手は、2008年6月16日生まれの12歳。仙台市出身で2歳から卓球を始めたそうです。
9歳になった美和選手は、小学1年時に全日本選手権バンビの部(小学2年生以下)で優勝、その後も2年連続で年代別大会に準優勝している。
水谷隼選手や智和選手と同じ木下グループと契約を結び、世界を代表するトップアスリートも参戦しているTリーグにわずか、10歳で参戦し戦っています。
卓球の実力についても、当時の福原愛さんと比べても上回っていると評価されています。
超貴重!!兄妹対決!!
張本兄妹対決実現‼️#卓球 #塩釜 #張本智和 #張本美和 #兄 #手加減なし #いつか #ミックスダブルス #組んでほしい pic.twitter.com/BNcC8i7qiK
— テレビ東京卓球情報 (@tvtokyo_tt) September 12, 2018
全く手加減なしの兄に、妹は「普通にやってもらってよかったです。ちょっとでもサーブが(ネットから)出たら打たれる」と冷静に分析していたそうです。
ここまでのワールドツアー優勝や全日本選手権優勝など数々の最年少記録を更新してきている智和選手だが、取材時に「この記録を塗り替えるなら妹に抜いてほしい」と語ったそうです。妹の天性の才能を認めているからこその発言だと思います。
美和選手も憧れの選手に中国のトップ選手を語っていたが、今は智和選手の名前を即答したそうです。そんな美和選手が、「お兄ちゃんを超えたい意識はあります」と答えたそうです。
兄妹で、5歳差でありながら、全く手を抜かない兄も居ることや、一歩先を行く兄を追いかけることで、妹の美和選手が強くなる秘訣なのかも知れませんね。
中国から日本に帰化した理由とは?
ここまでの記事で、お母さんの名前だけ違うのにお気付きですか?
実は、お母さん以外は、2014年に帰化して日本国籍となっています。
では、なぜお母さん以外日本へ帰化したのかを調べました。
①生まれ育った日本への思いが強かったから
日本に帰化したいと言ったのは、張本智和選手自身だそうです。
先にも触れたように、両親は、二人とも中国生まれの中国人。
張本智和選手には、中国人の血を受け継いではいますが、産まれも育ちも日本です。張本智和選手にとっては、日本の宮城県仙台市こそが故郷でした。
2011年の東日本大震災も経験しており、「仙台・東北に希望を与えられるように頑張ります」との決意も語っているように、故郷に対する気持ちが、日本人として戦いたいという想いに繋がったのかもしれません。
②息子の想いを叶えるため
日本国籍を取得したいと言い出したのは、張本智和選手が小学校4年生だったそうです。
お父さんは、その言葉を受けて、息子とともに日本に帰化することを決意したそうです。
張本智和選手の夢は、東京五輪で金メダルを獲得するということです。それを叶えるためにお父さんも一緒に帰化したのでしょうか。
また、お母さんは手記で、以下のように語っています。
幼少期から負けず嫌いでした。幼稚園のときはトイレに行くときも1番、小学校のときは宿題も1番早く提出。卓球で負けると、トイレからなかなか出てこないこともしょっちゅうでした。夢はぶれずにずっと卓球選手。わたしも不思議なくらい、卓球のために生きている感じでした。
(中略)
考えが変わったのは小学4年時の全日本ジュニアの県予選。3ゲーム先取で0-2のゲームポイントを握られた時でした。そこから3-2と大逆転したのです。泣きました。この子は違う。わたしを超えたと。以来、トモの卓球人生を支えようと考え直しました。
小学校の卒業式で「東京五輪金メダル」を宣言しました。これからも夫とともにその夢を応援していくつもりです。
③中国卓球界の厳しさを身をもって感じていたから
前述したように、両親とも中国の元代表選手。
現代卓球の上位は中国勢が占めている状況です。
そのため、強豪揃いの国内を見渡しても、強い選手はゴロゴロいる中で、自分たちが経験してきたからこそ、卓球界の厳しさを身をもって感じていたからこそだったと思います。
お母さんは、息子を卓球選手に育てようとは考えていなかったと言います。
夫とともに卓球の厳しさを知るだけに、当初は選手になるのは反対でした。
「なぜ日本に帰化したのか」。その理由は、息子の夢を叶えさせてあげたいということに集約されるのだと思います
日本人として、東京五輪で金メダルを取りたいと本気で願う息子のために、日本への帰化を賛成し、お父さんは、近くでサポート出来るように、一緒に帰化したのではないかと思います。
まとめ
張本智和選手は、家族からも力強いバックアップもあり、メキメキと実力を上げています。
現在の世界ランキングを見ても、1位から4位まで中国勢が占めていますが、その世界ランキング上位の選手からも勝利をあげています。
張本智和選手にとって、幸か不幸か、新型コロナウィルスによって1年間延長された、東京五輪。さらに進化を遂げた姿で、金メダル獲得が期待されます。
東京五輪の次、2024年開催予定であるパリ五輪で、兄妹で出場・兄妹でメダルを獲得すれば大変なことになりますね。
どんどん夢が広がっていく、この家族に今後も注目です!!
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