古賀稔彦の息子,娘は柔道家?死因は何ガン(病気)で痩せた顔は?小川直也が語る強い稔彦!

古賀稔彦

2022年8月6日に放送される『バース・デイ』にて、古賀稔彦さんご家族(妻)や子供(娘・息子)が特集されます。

53歳という若さで亡くなられた古賀さんですが、

バルセロナ五輪柔道男子71キロ級・金メダリストでもあり、「平成の三四郎」と称えられました。

古賀稔彦さんとはどのような人物だったのかまとめていきます。

 

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古賀稔彦がん(癌)で死去・病気で自宅静養中だった(概要)


1992年(平4)バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が死去した。53歳だった。

【写真】90年4月、全日本選手権の決勝で小川直也と対戦する古賀稔彦氏

歩くことさえ満足にできなかった左ひざのけが。だが、畳の上では、一度も足を引きずらなかった。前日、先に後輩の吉田が金メダルを獲得していた。

そのことを聞かれ「けがをしたのは吉田との練習だったので、あいつは責任を感じていた。早くけがが治るようにいつも祈っていたという後輩の気持ちを聞いて、今回は本当にいい優勝をしたなと思います」と言った。まさに、奇跡の金メダルリレーだった。

96年アトランタ五輪では78キロ級銀メダル。00年に現役引退し、その後は指導者に。全柔連のコーチなどを務めた。自らの道場「古賀塾」でも指導していた。

指導者としても、手腕を発揮。04年アテネ五輪女子63キロ級で、指導した谷本歩実が金メダルを獲得した。谷本は、古賀に抱きついて喜んだ。

2007年からは、環太平洋大の体育学部体育学科教授で、女子柔道部総監督を務めていた。

引用:https://news.yahoo.co.jp/

 

「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が53歳という若さで亡くなられました。

古賀さんは昨年、がんの手術を受け、自宅で静養中でした。

神奈川県川崎市内の自宅で闘病中に、亡くなったそうです。

 

症状についてまとめました。

  • 2020年春から癌という病気が発覚する。
    5月に腎臓を片方摘出

 

  • 2021年に、終末期になると見られる腹水貯留の兆候も現れていた。
    同年3月24日に亡くなられる。

 

2020年の5月の手術退院後は周囲が心配するほどやせ細っていました。

 

また、昨秋(2020)の講道館杯全日本体重別選手権では現場を訪れ「まあまあ元気」などと笑顔を見せていたものの、がんは体中に転移していたようです。

2021年に入ってからは痛みを和らげるためのモルヒネ投与も受けていましたが、2021年3月24日の早朝に自宅で息を引き取りました。

 

 


 

 

 

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古賀稔彦(こがとしひこ)さんプロフィール

 

引用:https://news.yahoo.co.jp/

名前:古賀稔彦(こが としひこ)

年齢:53歳

出身:福岡県みやき町

在住:佐賀県

段級:71kg級

所属:環平洋大学

引退:2000年

令和2年11月1日より無期限休塾のお知らせ まだまだ終息が見えない新型コロナウィルスによって日常生活では三密を避けマスク着用などが続いております。 また世界各国では更なる感染拡大となってきております。このような状況から濃厚接触となる柔道は…

古賀塾さんの投稿 2020年11月1日日曜日

古賀塾も11月より閉鎖されています。

闘病生活の影響と考えられますね。

 

 

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息子や娘・子供たちは現在柔道家?(娘・息子画像や名前)

古賀颯人

長男:古賀颯人(こが はやと)・24歳

イケメン柔道家で話題です。

 

古賀玄暉

次男:古賀玄暉(こが げんき)・23歳

2年生の時、全国中学校柔道大会で50kg級で二位入賞。

 

古賀ひより

長女:古賀ひより・21歳

2014年全国中学校柔道大会三位入賞!

 

このように古賀さんには24歳・22歳の息子さんと日体大にかよう21歳の娘さんがいました。

 

同日午後、古賀氏が営んでいた「古賀塾」の前で、長男颯人(23)が対応し、「全日本柔道連盟の事務所を通してご連絡させていただきます。そちらを確認していただけたら」とお願いした。 颯人は父と同じ中量級の73kg級、次男の玄暉(22)は60キロ級、長女のひよりは57kg級で活躍している。

引用:https://news.yahoo.co.jp/

颯人は父と同じ中量級の73kg級

次男の玄暉(22)は60キロ級

長女のひよりは57kg級で活躍している。

と書かれていますので、現在ご活躍されていることが分かります。

そのご活躍ぶりは、父譲りな実績でさすがですね。

 

歴史に残る柔道家族ともいえますね。

 

父の早すぎる死去に悲しまれたことでしょう。

 

最後に素晴らしい経歴についてまとめました。

 

息子さんや娘さんの詳細記事はこちら。

 

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古賀稔彦死因はなにがん(病気)?癌で痩せた比較画像!

古賀稔彦

引用:facebook

 

 

引用:Facebook

マネジメント会社が死因はがんと発表した。

引用:https://news.yahoo.co.jp/

死因はがんで自宅静養中ということは分かっていますが、
何系のがんだったのかは報じられていません。
 
 
しかし、退院ごは痩せていたということで画像で比較してみます。
 

2020年3月の上の写真に比べ
2020年8月の下の画像は、かなり痩せていることがみてわかりますね!。

 

水泳選手の闘病生活が記憶に新しいですが、
闘病生活の苦しさや、過酷さが語れていました。

 

鎖骨部分もだいぶ痩せ細っているのがわかりますね。

 

古賀さんも、闘病生活に苦労されたことでしょう。

 

この写真からも伝わってくるようですね。

 

古賀さんの父ついてはこちら。

 

 

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古賀稔彦のwiki経歴

引用:https://news.yahoo.co.jp/

1967年(昭42)11月21日、福岡県久留米市生まれ。福岡・宮ノ陣小1年で柔道を始めた。名門・講道学舎へ入門し、東京・弦巻中-世田谷学園高と進み、86年に日体大入学。卒業後、同大学院に進学した。

弦巻中3年時に全国中学大会で優勝し、世田谷学園高ではインターハイ個人戦2連覇。高校3年、17歳の時に、史上最年少の日本代表(フィンランドオープン)に選ばれる。

代名詞ともいえる鮮やかな背負い投げは、弦巻中2年から。兄元博さんのアドバイスがきっかけだった。日体大の卒業論文(90年)のテーマは「背負い投げの魅力を探る」だった。

五輪には88年ソウル大会に71キロ級で初出場するも3回戦で敗退。92年のバルセロナ五輪で悲願の金メダルを獲得した。

その金メダルへの課程が壮絶だった。24歳、71キロ級代表の古賀は、78キロ級代表の吉田秀彦とのけいこ中に左ひざを負傷。靱帯(じんたい)損傷で全治1カ月の大けがだった。
講道学舎の先輩後輩だった2人は、選手村でも同部屋。そんなアクシデントを乗り越え、奇跡の金メダルを獲得した。

引用:https://news.yahoo.co.jp/

 

1967年 佐賀県に生まれる 

1980年 東京にある柔道の私塾「講道学舎」講道学舎に入門し柔道を磨く

1987年 全日本選抜体重別選手権 一位(1992年までその座を守る)

1988年 ソウルオリンピック出場 

1992年 バルセロナオリンピック 金メダル獲得 

1996年 アトランタオリンピック 銀メダル獲得 

2000年 現役引退。全日本柔道女子強化コーチへ就任 

2002年 「古賀塾」を開く。

 

  • 癌闘病までは古賀塾にて塾長を勤める
  • 全日本女子柔道強化委員
  • 東京オリンピック基本構想懇談会委員
  • IPU環太平洋大学体育学部体育学科教授
  • 柔道部総監督としても活躍

 

「平成の三四郎」の由来

 

古賀稔彦さんは身長が170cmで決して背が高いわけではないが、その小柄な体型ながらも、自身よりも大きい相手を倒すといったスタイルが人気を集めこの名が付けられました

 

睡眠時間は短かった?幼少時代の苦労

 

古賀さんは同じ講道学舎に所属していたお兄さんの分も含めて柔道着や洋服を1日に3回も洗濯機をまわしていたそうです。

 

他の人を待つ時間もあり、眠りにつくのは、早くて夜の11時で、遅いときには夜の12時だったそう。

 

そして寝る子は育つ!と言いますが毎朝のトレーニングがあり5時40分起床。

 

そのため、睡眠時間も少なく、

身長もそれほど伸びなかった可能性もありますね。

 

「そんな中学生、高校生時代だったので、その当時の選手は大きくなれなかったです。だから、小さくても強いということで有名だったんです、うちのチームは。それは小さかったというよりは大きくなれなかったという……。(睡眠をとるかわりに)技術(の習得)につぎこんじゃったんですね」

本人がおしゃっていた言葉です。

 

輝かしい背景には、幼少期のころからの努力がありました。

 

そんな努力が成績に繋がったことはいうまでもありませんね。

 

ライバルで戦友だった〝元暴走王〟小川直也氏が語る「強い稔彦」

 

少年柔道の指導者として顔を合わせる機会が多くなったけれど、彼は子供が柔道をやれる機会をつくってあげていた。一生懸命、子供たちに教えていた姿を見たし、大学でも学生に教えていた。柔道普及の活動もいろいろやったのはすごいと思うよ。

 最後となった会話で「お見舞いに行きたい」と告げたら「お前には見せられる体じゃない。良くなったらね」と言われていた。今、思えばオレには弱いところを見せたくなかったのかな。最後まで「強い稔彦」でいたかったんだろうね。

 まだ53歳。いくら何でも早すぎる。でも、あいつとはいろいろ話せたし、感謝だよ。心からご冥福をお祈ります。

引用:https://www.tokyo-sports.co.jp/

彼は子供が柔道をやれる機会をつくってあげていた

一生懸命、子供たちに教えていた姿を見たし、大学でも学生に教えていた

柔道普及の活動もいろいろやったのはすごいと思う

と古賀さんを称えていました。

続けて

最後となった会話で「お見舞いに行きたい」と告げたら「お前には見せられる体じゃない。最後まで「強い稔彦」でいたかったんだろうね。

 

 

と、今までの古賀稔彦さんの強さをアピールするコメントを綴っていました。

 

改めてご冥福をお祈りいたします。

 

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世間の反応

 

 

 

 

 

まだまだ若すぎる…

これからも柔道界に必要な方…

古賀さんの一本背負い、最高にかっこよかったです。

ご冥福をお祈りします。

 

野村さんや田村亮子氏に注目が集まりガチの柔道業界でしたが
実は古賀氏は柔道家の間では憧れの選手であり人気も高かった。
豪快な一本背負いで一本を量産する柔道家は古賀さんが元祖だと思います。

 

びっくりしました、まだお若いのに。
ご病気だったことも知りませんでした。
ご冥福をお祈り致します。
オリンピックでのガッツポーズが印象的です、今でも古賀さんと聞けば思い出します。

 

なぜ、今?という思いでいっぱいです。
まだ若いですし、またお姿を見られると思っていました。ご病気では仕方ありませんが、口惜しいです。今はただ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

ラグビーの平尾さんの死去と同じぐらいショックです。バルセロナオリンピックの負傷しながらの金メダル、感動させていただきました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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