2022年2月5日、「苦役列車」「暗渠の宿」で有名な小説家・西村賢太さんが、4日の夜に突然の心肺停止に見舞われ、亡くなりました。
54歳という若さで亡くなられたので、とても残念ですね。
それでは、西村賢太さんについて見ていきましょう。
目次
ニュース概要
芥川賞作家の西村賢太さんが5日、東京都内の病院で死去した。54歳だった。西村さんは4日夜、タクシーの中で具合が悪くなり、病院に運ばれたときには心臓が止まっていたという。医師が蘇生を試みたが、再度の心臓停止となった。
速報で西村賢太さんがなくなったと報道されたときは、本当に驚きました。
4日の夜にタクシーの中で、具合が悪くなり、病院に運ばれたときには、すでに心肺停止だったそうです。
西村賢太さんは、「苦役列車」「暗渠の宿」などの作品でよく知られ、「苦役列車」では、芥川賞を受賞しています。
受賞時の「ソープに行こうとしたら電話が鳴った」という少し笑えるエピソードは、記憶に新しいですね。
まずは、西村さんが、現在までどのように過ごしてきたか、見てみましょう。
西村賢太さんの経歴
西村 賢太 (にしむら けんた) | |
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誕生 | 1967年7月12日 日本・東京都江戸川区 |
死没 | 2022年2月5日(54歳没) 日本・東京都北区[1] |
職業 | 小説家 |
ジャンル | 私小説・随筆 |
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代表作 | 『暗渠の宿』(2006年) 『苦役列車』(2010年) |
主な受賞歴 | 野間文芸新人賞(2007年) 芥川龍之介賞(2011年) |
デビュー作 | 『けがれなき酒のへど』(2004年) |
生い立ち
参照:読売
東京都江戸川区春江町に生まれ、父親が1978年に強盗教官事件を起こして以来、3歳上の姉と共に母子家庭で育ちます。
江戸川区立二之江第二小学校、町田市立中学校を卒業後、高校へは進学せず、家を出て東京鶯谷の家賃8000円のアパートに下宿したそうです。
小説を読み始めたのは、16歳頃で、土屋隆夫の『泥の文学碑』を通じ田中英光の生涯を知ってから私小説に傾倒したのだとか。
〇小説家としての活動は2003年夏から
2003年 夏 同人雑誌「煉瓦」 で小説を書き始める。
2004年 「けがれなき酒のへど」が『文學会』に掲載され、賞をもらう
2006年 「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補
「一夜」で第32回川端康成文学賞候補
「どうで死ぬ身の一踊り」で第19回三島由紀夫賞候補
2007年 「暗渠の宿」で第29回野間文芸新人賞
2008年 「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補
2009年 「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補。
2011年 「苦役列車」で第144回芥川賞受賞
現在
芥川賞受賞以降は、受賞時の「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」という言葉で、ワタナベエンターテイメントに目をつけられて、ワタナベエンターテイメントにマネジメントをしてもらっていたそうです。
2012年10月2日からTOKYO MXの『ニッポン・ダンディ』にレギュラー出演していたが、2013年6月4日の放送で終了直後に突然降板してしまいます。
MCの段取りの悪さに不満を募らせ続けており、それがこの日爆発したことが原因だと明かされていました。
それ以降は、
東大のオープン講座の動画ですね。
上は、2019年の時の動画です。
小説家として、様々なメディアに顔を出していた西村さん。
さらに、最近では、悲しい報道で西村さんの名前を目にしました。
西村さんがなくなる丁度4日前、石原慎太郎さんがなくなったのです。
2022年2月2日に、石原慎太郎さんへの追悼文を公開しています。
以下の引用は、読売新聞の記事の一部です。
リンクを開くと、追悼文を全文を読むことができます。
石原慎太郎氏の 訃報 に接し、虚脱の状態に陥っている。
私ごとき五流の私小説書きが、かような状況下にあることを語るなど痴愚の沙汰だ。実におこがましい限りの話でもある。しかし十代の頃から愛読していた小説家の逝去は、やはり衝撃の度合が違う。これでもう、私が好んだ存命作家は 唯 の一人もいなくなってしまった。
十六、七歳の頃の、日雇い労働後の娯楽はもっぱら読書であった。古本屋の均一台でカバーの取れた文庫本を四冊百円で購入し読み 耽 るのが、最も金のかからぬ消閑法だった。
当時、各社文庫には石原氏の作が数多く入っていた。背表紙にその名があれば、積極的につまんでいた。
『太陽の季節』や『完全な遊戯』、『亀裂』、『行為と死』 或 いは『化石の森』等の代表的作品は 云 うに及ばず、氏はミステリ系統にも出色の傑作が多かった。
殊に『汚れた夜』は氏が二十八歳のときに発表した長 篇 だが、麻薬に政治の腐敗を絡めたストーリーの展開はやや通俗的ながらも、乾いたスピーディーな文体によって他に類のない上質なハードボイルド作に仕上がっている。この時代――一九六〇年代にはいかにも頭と小手先で書いただけの“ 物真似 ハードボイルド小説”が横行したが、氏のそれは大藪春彦同様に決してその種のまがい物ではない、いわゆる“身体性”を伴った 真物 だとの印象があった。 即 ち、自分にとっての信用できる作家であったわけである。戯曲『狼生きろ豚は死ね』でもその観を強くした。
参照:読売
死因は?
54歳という若さで亡くなった西村賢太さん。
「今の気力や体力を保っていられるのはせいぜい10年」
と50代になってからは、悟ったような発言が多かったように思います。
セリフにもある通り、せめて、あと10年は生きてほしかったですね。
幼いころから、下宿先でバイトに明け暮れ、結局4か月も家賃を滞納し、転居と退居を繰り返すなど、波乱万丈な人生を送ってきました。
芥川賞を受賞するまでは、借金も多かったようなので、不摂生な生活をしていたのでしょう。
体に蓄積した疲労が、一気に来てしまったのかもしれませんね。
彼女は?
西村さんのエピソードの一つとして有名なのは・・・
西村さんの作品にたびたび登場する「秋恵」という女性のこと。
実在のモデルがいるそうですが、西村さんは、モデル問題で提訴されることを恐れ、女性の性格や出身地・年齢などを変えているそうです。
そんなエピソードまである西村さんなので、彼女の1人や2人いるのかもしれないと思い、調べてみました。
確かに、高校卒業してから今までに、彼女がいた時期はあったようです。
しかもそれが、あの「秋恵」さん!
そこは、特定されているようです。
西村賢太botのTwitterに書かれていたようですね。
結婚には至らず、彼女の実家から多額の借金をしていたようです。
芥川賞を受賞した際には、借金のことは2の次で褒めてもらえたそうですよ。
そこまで、仲がいいのに、どうして結婚までは行かなかったのでしょうか。
口コミ
若いのに。
受賞の時に「ソープに行こうとしたら電話がなった」みたいなことを言っていたのがとても印象に残ってます。
ステレオタイプ的と批判受けるかもしれないですが、こういう人が文豪なんだろうな!って当時は思いました。ご冥福をお祈りします。
つい先日、石原氏への追悼文を拝見したばかりです。
本当に突然のことで驚いています。
お若いのに悲しいです。ご冥福をお祈りします。
平凡な自分はお付き合いできない破天荒タイプの男性だけど、気になって仕方ないキャラだった。
年齢が近い方の訃報はやはりショックです。
4日夜タクシーに
乗っている時倒れ、
搬送されたようです。
正に破天荒な作家さんで、
正直平凡な自分には
無理、と思っていたが
気になる方でした。若すぎる。惜しいな…
これは結構ショック…独特の文体が好きでした。まだ若い。
まだまだたくさん書いてほしかった。
芥川賞受賞直後、某三省堂のサイン会で、たまたまお姿を拝見しました。一人ひとりと丁寧に対応されていたのが印象に残っています。悲しい・・・。
えっ…
前にテレビに出ていたときに話も上手く面白い作家さんの印象があったな。
あまりにも急な出来事で頭が追いつかない…ご冥福をお祈りいたします。
作家の不摂生を生涯独身で自由に生きられた
人と思います 一般人で可もなく不可もなく平々凡々と生きた人では無いですし54が西村さんの人生 らしい人生とも思います
ただただ驚いている。
彼が芥川賞をとったことは興味はないが、彼の私小説には彼にしかわからぬ苦しみが含まれている。『苦役列車』『暗渠の宿』『小銭をかぞえる』などどれも彼の苦しみそのものである。
先日亡くなった石原慎太郎氏の追悼文を出したばかりだったのに、まさかこんなことになるとは・・・
彼がよく通ってたという鶯谷の信濃路は私自身も大学の頃バイト帰りに安酒を飲んだ思い出の場所で、西村氏のおかげで再び行くようになった。話さなくでもいいから一度会ってみたかった。自分が生前建てた藤澤さんの隣の墓に入るんだね。
ご冥福を御祈りします。
以前に「ナカイの窓」に、湊かなえさんなど数人の作家さんと出演してましたね。番組中に湊かなえさんに少しお説教をされながらも「こんな自分にも普通に話してくれて嬉しかった」とニコニコして自嘲気味に話していたのが印象的でした。
54歳まだ早いですね。残念です。
石原慎太郎さんが亡くなられたとき、追悼の寄稿を読んだばかりだったのに。
人の最期ってわからないな。
ご冥福をお祈りします。
これはショックです。大変驚きました。
まだお若いのに、なぜなんでしょうか。
記事に理由がかかれてないので、どう受け止めたらいいか戸惑ってます。
ご病気だったのでしょうか。
素晴らしい才能をお持ちの方でしたよ。
自分は本を全部読みました。
まだまだたくさん素晴らしい作品を書いていただきたかったので、
正直、ショックが半端ないです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
石原さんが、
お互いインテリやくざだなと開口一番言ったというのは面白い。
こういう言葉をパッと投げるあたり
らしい、といえばらしいし、
あの尊大に見える石原さんの裏にあるチャーミングさが伝わる話でもある。
たぶん、石原さん流の親しみと愛情の表現なんだろう。
小説だけを通して、石原慎太郎にこうまで言わせた西村さんはすごい。
ご冥福をお祈りします。
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