島袋寛子と元旦那で早乙女友貴の離婚理由「予言は当たった」子供はいた?

「SPEED」のメンバー島袋寛子さんと俳優の早乙女友貴さんが離婚したことがわかりました。

離婚理由は何だったのでしょうか?

 

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島袋寛子と早乙女友貴が離婚!理由は?

 

女性4人組グループ「SPEED」のメンバーで、歌手の島袋寛子(38)が31日、インスタグラムで俳優の早乙女友貴(26)との離婚を発表した。「いつも応援してくださる皆様へ」と題し「二人でじっくり話し合い 二人で出した結論です」と報告した。 【写真】“2ショット”で離婚を報告した島袋寛子と早乙女友貴(インスタから)  2人は2016年9月12日に婚約を発表し、翌17年2月11日の交際1周年記念日に島袋の故郷・沖縄で婚姻届を提出した。婚約発表の時には島袋は32歳、早乙女は当時、5月に成人したばかりの20歳。島袋が1996年にSPEEDでデビューした時、早乙女は生後3カ月の乳児だったという12歳の年の差カップルとして話題となった。結婚発表の際には2人はそれぞれのブログで「これからも互いを支え合い、愛と感謝を持ちともに歩み、芸事に磨きをかけていきたいと思います」と同じ文章を掲載。昨年2月11日には結婚5周年の記念日として、インスタグラムで、おそろいのスニーカーを履いて寄り添うツーショット写真を投稿していた。  島袋は昨年10月、出身の「沖縄アクターズスクール」のコンサートに出演し、サプライズゲストとして登場した上原多香子、今井絵理子参院議員と1日限りのSPEED復活ステージを披露、デビュー曲「Body&Soul」を歌唱して話題となった。  この日の離婚発表で「これからも、私らしく、お仕事はもちろん、日々を楽しみ、頑張ってまいりますのでよろしくお願いいたします」と決意もつづった。

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

 

SPEEDのメンバー島袋寛子さんと

俳優の早乙女友貴さんが離婚したようです。

 

お2人が結婚した当時、

「どうせすぐ別れる」という予言ともとれる

多くの声がありました。

 

実際に離婚という結果になってしまいましたが

インスタの言葉を見る限り

すぐ別れるといわれたわりには

5年間の結婚生活は充実したものだったようです。

 

離婚理由がはっきり明かされていませんが

いったいなんだったのでしょうか?

 

・12歳もの年齢差がやはり合わなかった

・子供が欲しかったから

・収入格差で不仲になった

 

このあたりが考えられるでしょうか?

 

2人の間にはお子さんがいません。

しかし結婚後、島袋寛子さんは子供を望んでいたそうです。

 

島袋は早く子供ができることを望んでおり、稼ぐのは夫に任せ、仕事をセーブする意向だというから幸せな結婚生活のようだ。

出典:https://www.excite.co.jp/

 

子作りには前向きだったと思いますが

何かしらの事情があったのかもしれませんね。

 

 

また、結婚当時は年齢差や格差婚などと言われ

それが夫婦仲に影響を与えたことも考えられます。

 

 

 

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世間の声

 

想像通りで特に驚きは無いなぁ。 離婚する前にじっくり話し合うより、結婚する前にじっくり話し合えば少しは変わってたかもとは思うけど「結婚」がしたいというのが頭にあると話し合う必要もないのかな。 まぁ結婚に何を求めるかもそれぞれ違うやろうし。 今は離婚することがそんなに否定される時代じゃないし、子供もおらんし、芸能人であるということで離婚自体も話題のひとつになるやろしね。 SPEEDってもうひとえちゃん以外迷走してる人たちって感じしかない。

 

感謝と思いやりを持って仲睦まじく…って言うのは簡単なんだけど、自分だけできたって相手ができなきゃ話にならないし、妊娠出産育児進学とどんどん新しいステージに適応して成長していかないといけないし、絶対に何かの形であらわれるトラブルを力合わせて解決しなきゃいけないし、仕事の状況とかそれぞれの状況によって、相手に優しくできる余裕とか許容量は刻々と変わりますから。ほんと、難しいんですよ。私も苦労しましたよ。一番しんどい時は、思い出すとちょっとゲッソリしますよ。お疲れさまでしたと言いたい。

 

離婚問題は色々ありますから。 私は、スピード世代より少し上ですが、随分お若い方と結婚したんだなと、当時は思いました。 幸せになって欲しかったですが、まだまだお若いし新たな幸せを掴んでもらいたいです。

 

SPEEDは島袋さんが当時付き合ってたジャニーズJrの子と結婚するだの沖縄に帰って店を開くだの言って解散を早めてしまった。 もし、あの時、島袋さんに自制ができたならSPEEDの時代はまだ続いていたはずだし、今井さん、上原さん、仁絵さんの人生も良い意味で違ったものになっていただろう。彼女達が育った沖縄アクターズスクールも低迷していない。 振り返れば彼女の判断がターニングポイントだったと思う。

 

 

 

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