吉田秀彦さんは日本の柔道家であり、総合格闘家でも活躍。
そして、1992年バルセロナオリンピックの柔道男子78kg級金メダリストです!
そんな吉田秀彦さんは現在何をされているのでしょうか?
また、3月24日にお亡くなりになった古賀稔彦さんとは先輩後輩の仲でした。
吉田秀彦さんの現在についてまとめていきます。
目次
吉田秀彦のwikiプロフィール
名前:吉田秀彦(よしだ ひでひこ)
生年月日:1969年9月3日
年齢:52歳(2021年3月時点)
出身地: 愛知県大府市
段位 :七段
出身高校:世田谷学園高校
出身大学:明治大学
1992年:バルセロナ 78kg級 金メダル 1991年:バルセロナ 78kg級 銅メダル 1993年:ハミルトン 78kg級 銀メダル 1995年:千葉 86kg級 銀メダル 1999年:バーミンガム 90kg級 金メダル 1988年:ダマスカス 78kg級 金メダル |
1992年バルセロナオリンピックでは、予選から決勝まで、
すべて一本勝ちを収め、金メダルを獲得!!
吉田秀彦の現在は?
引用:吉田秀彦さんインスタより
2002年、第一線から退いた吉田秀彦さん。
吉田道場を設立をし、現在は師範を務めているようです。
引用:吉田道場
吉田道場
東京都目黒区目黒本町4-1-5
吉田道場では
「教育としての柔道」と「競技としての柔道」の両面を指導。
「心・技・体」を鍛え、努力できる子ども達を育てているようです。
引用:柔道チャンネル
また、パーク24株式会社の柔道部の監督を務めています。
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引用:パーク24株式会社
こちらのパーク24では、柔道の経験の有無に関わらず参加できるようです。
小学生は無料だそうですよ。
パーク24の西川社長と付き合いがあった吉田さん。
「うちの会社に柔道部を作ってくれないか」
という西川社長からの誘いを一度は断ったそうです。
「それならば東京に道場と寮を作って下さい。自分たちが思い切り柔道に取り組める環境を作って頂けるのであればやります」
と冗談半分に伝えたところ、1週間後に
「道場の土地が決まったよ」
と西川社長から連絡があったそうです。
西川社長の熱い意気込みが伝わってきますね。
現在、吉田さんは
やるからには世界を目指す!
と選手たちを鼓舞し、練習に励んでいるそうです。
将来この道場からオリンピック選手が出るかもしれませんね!
ネットで調べたら指導法が素晴らしく、しかも自分の息子はあえて他の人に指導させるとか、メダリスト以外の点でも立派な人だったんだろうなぁ。
お元気だったらこの人にこそオリンピックも任せた方がよかったのではと思いました。
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吉田秀彦と小川直也は犬猿の仲??
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引用:ライブドアニュース
2005年のPRIDE 男祭りで、小川直也さんと対戦した吉田秀彦さん。
実はこの2人は明治大学の先輩後輩の仲だそうです。
吉田秀彦さんが小川直也さんの2学年下です。
小川直也が主将を務める柔道部の方針に、後輩の吉田秀彦さんが反発。
上下関係に厳しい柔道界においては許されないことです。
そのことを小川直也さんは根に持っていたのだとか。
PRIDE 男祭りでは、吉田さんがTKOで勝利を収めました。
試合後、小川さんに声をかけにいった吉田さん。
小川さんがマイクを取ると、吉田さんに向かって
「最初に取られたところで、足が折れたわ。
吉田~!オマエ、これからがんばれよ」
と語ったそうです。
マスコミは『因縁の二人が対決』と大々的に報道したようですが、
まさに男と男のPRIDEを賭けた試合でした。
古賀稔彦さんと獲った金メダル!
「平成の三四郎」と称されたバルセロナ五輪の柔道男子71キロ級・金メダリストの古賀稔彦さんが24日、亡くなったことがわかった。
53歳だった。同五輪78キロ級金メダリストの吉田秀彦氏(51)がコメントを発表した。
古賀先輩の訃報を聞き、今はただ驚きと、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。
最後まで奇跡を信じていましたが叶いませんでした。
今の私があるのは、古賀先輩のお陰と言っても過言ではありません。
私は中学3年生の時に講道学舎に入門しましたが、古賀先輩は柔道が弱かった私を付き人に指名してくれました。
それからは練習はもちろんのこと、私生活でも常に行動を共にしていただいたことで、柔道の技術的にも、精神的にも強くなれました。
バルセロナオリンピックでは、怪我で柔道が出来る状態ではなかった古賀先輩が優勝した瞬間、私が金メダルを取った時以上の喜びを感じました。
古賀先輩が見せたあの精神力は、今も私の支えとなっています。二人で勝ち取ったバルセロナオリンピックの金メダルは一生の宝です。
現役引退後は、更新の指導や子どもたちへの柔道普及活動など柔道界の発展に尽力された古賀先輩に、私から人生の金メダルを贈らせていただきます。ご冥福を心よりお祈りいたします。
引用:スポニチ
古賀稔彦さんの訃報を受け、吉田秀彦さんがコメントを出しました。
日本中から古賀さんを惜しむ声が。
あのバルセロナ五輪の金は本当に古賀氏のこれまでの努力に天が報いた様な勝利だった(勿論古賀氏自身の力が一番大きいが)。
吉田秀彦氏の金と合わせ、同五輪最大級のハイライト。
早過ぎる…
古賀さんは、わたし達にたくさんの勇気と感動を与えてくれました。本当に素晴らしい柔道家だった。ご冥福をお祈りします。
私の地元岡山県の環太平洋大学で指導されてました。
オリンピックにも何名か出場しています。
学生さんは古賀さんの復帰を心待ちにしていたと思います。古賀さんの意思を引き継いで頑張ってもらいたいと思います。
これは悲しい。バルセロナ、記憶に焼き付いてるよ。爽やかなイメージしかない、本物のスポーツマンだったよね。今、世界中の柔道家たちが改めて尊敬し、お手本にしてくことを誓っていると思うよ。どうぞ安らかに。
なんだか人望のある人ほど惜しまれて早逝されるような気がします。柔道に詳しくない私などでもテレビで拝見するたびに人柄の良さに好感を抱いていました。本当に若すぎますね。
ご冥福をお祈りいたします。
こんなすごい人でも亡くなるんだな
普通の人よりメンタルは強いし、何よりも人格者、日本の柔道界で山下の後継者としてやってくれるんじゃないかなと思っていただけに大変悔しい
この人は本当に憎めないよね、だからもっと長生きしてほしい人だった
バルセロナオリンピックの古賀選手の金メダル。日本時間では午前5時30分くらいだった。先に金メダルをとった吉田選手が一生懸命応援し、金メダルの瞬間、男泣きに泣いていたのが忘れられません。
古賀選手と言えば、女子柔道・谷本選手が金メダルをとった瞬間、古賀コーチに抱きつきにいったのも感動的シーンでした。
日本国民にとって悲しいニュースとなりましたが、
古賀さんのバルセロナオリンピックでの活躍は、みなさんの胸に焼き付いています。
ツイッターの声
金メダル取って、練習中に怪我をさせてしまった吉田秀彦さんと抱き合った名シーンは忘れませんね😢
— ハルユウト【チームやちミカ所属】 (@yuuman5526) March 24, 2021
大して詳しくはないのだけれど、柔道の古賀(稔彦)さんが亡くなったの悲しい…今日の仕事中、bayfmで「訃報が入りました」って言ってて、それで知ってびっくりした。まだお若いのに早すぎる。
わたしの中では、古賀さんといえば吉田(秀彦)さんで、吉田さんといえば栄喜。— りお (@abnormaxx) March 24, 2021
大怪我をしたバルセロナ五輪で吉田秀彦の乱取り相手だったというのを考えても、彼の実力ってずば抜けていたんだろうなあ。
— QMAてんびん座の人 (@F_Sagittario) March 24, 2021
古賀稔彦さんの感動場面というと、あの大怪我からの金メダルなんだけど、今日は何度も繰り返して放送されて、吉田秀彦さんも心苦しいだろう。
あの時は、吉田さんへのバッシングが酷かった。— みちこてんち (@michicotenti_pi) March 24, 2021
個人差はありますし、場所にもよりますけど、早いですね。
同期の吉田秀彦氏が『奇跡を信じていたが』というコメント出してたので、近い人たちは早くから知っていたのでしょうね…💧残念。
— TAKA (@jesososobuttoso) March 24, 2021
本当に信じられません。
特に1992年バルセロナオリンピック。後輩の吉田秀彦選手との練習中、靭帯損傷で全治1か月の重傷を負いながら戦い、見事金メダルを獲得した姿は、今も伝説に残ることでしょう。
まだ53歳の若さで癌で亡くなるなんて。
一本背負いが美しい柔道家でした。
ご冥福をお祈りします。— くりちゃん (@kuri6912) March 24, 2021
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