袴田巌さんの息子の現在は?子供へ宛てた手紙や日記が愛情深い!妻とは若いころに離婚

1966年に起きた一家4人が殺害された強盗殺人事件で、袴田巌さんと姉のひで子さんは死刑確定後40年以上にわたって、再審・裁判のやり直しを求めてきました。

その後、再審開始が決まりましたが、静岡地検は再審公判で有罪立証する方針を静岡地裁に伝えたことで、審理の長期化は避けられない見通しとなっています。

この記事では袴田巌さんの息子さんや家族についてまとめていきます。

 

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袴田巌さんは6人きょうだいの末っ子

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

袴田巌さんは6人きょうだいの末っ子として、1936 (昭和11) 年3月10日、静岡県浜名郡雄踏町に生まれました。

 

姉の袴田ひで子さんは、幼いころの巌さんは優しく運動神経の良い可愛い弟だったと話しています。

 

私たちは6人きょうだいで、私は下から2番目、巖が1番下。巖はいつも私にくっついて、浜名湖の砂浜で遊んでいました。幼稚園の学芸会で巖が「とうちゃんだい」というお芝居に出て、背広姿にステッキで踊ったのは本当に可愛かったね。

近所で火事があった時、巖は飼っていたメジロの鳥籠を抱えて逃げ出し、震えていました。優しい弟です。けんかしたこともありません。

私も巖も運動神経はよかったですよ。

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

袴田巌さんは6人きょうだいで、兄が2人・姉が3人います。

 

家族構成

母親:ともさん(68歳で死去)

長兄:茂治さん(2001年73歳で死去)

次兄:實さん(死去)

姉:氏名不明(富士市)

姉:氏名不明(浜松市)

姉:秀子さん(2023年7月現在90歳)

末っ子:巖さん(2023年7月現在87歳)

 

兄2人はすでに亡くなっていますが

弟である巌さんの無実を信じて秀子さんと活動をされていました。

 

秀子さんを除く2人の姉については、2014年の記事に記載がありました。

 

私と巌は、姉2人と兄2人の6人きょうだい。兄2人は既に亡くなりましたが、富士市(静岡県)にいる姉(88)と浜松市にいる姉(84)は元気です。

出典:https://dot.asahi.com/

 

2014年時点で上記の年齢ですから、ご存命であれば2023年現在は97歳と93歳になります。近況がわかるような記事は見つかりませんでした。

 

末っ子の巌さんでさえ87歳のご高齢ですから、審理の長期化は心身ともに負担がかかり、とても大変なことと思います。

 

 

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袴田巌さんは20代で結婚して妻と1人息子がいた

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

袴田巌さんの姉・ひで子さんによると、巌さんはプロボクサーを引退後に結婚して息子を授かっています。

 

引退後は清水市のキャバレーでバーテンダーをし、その後はバーを経営。結婚して一男を授かりましたが、客商売向きの性格じゃないのね。うまくいかず妻にも去られて、清水市の味噌製造会社「こがね味噌」で住み込み従業員として働き出したんです。子どもは実家に預けてね。

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

結婚をしたのは1963年でプロボクサー引退後のバー経営をしている頃です。お子さんは1964年に生まれています。

 

バーの経営がうまくいかず奥さんは去ってしまったとのことですが、お子さんは巌さんが引き取り実家で育てていたようですね。離婚は1968年に成立しているようです。

 

袴田巌さんは30歳のときに逮捕されているので、息子さんが2歳くらいの頃に離れ離れになってしまったのではないでしょうか。

 

参考URL

http://hakamada-saishin.org/hakamada-saishin.org-hakamadaiwao-profile/hakamadaiwao-profile.html

 

 

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息子に宛てた手紙や日記

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

袴田巌さんは獄中から息子を思って日記を書いたり、手紙を出したりしています。どのような言葉をおくっていたのか紹介します。

 

⇓息子さんが18歳のころに袴田巌さんが書いた日記

 

息子よ、どうか直ぐ清く勇気ある人間に育つように。
 すべて恐れることはない、そして、お前の友だちからお前のお父さんはどうしているのだと聞かれたら、こう答えるが良い。
 僕の父は不当な鉄鎖と対決しているのだ。古く野蛮な思惑を押し通そうとする、この時代を象徴する古ぼけた鉄鎖と対決しながら、たくさんの悪魔が死んでいった、その場所で(正義の偉大さを具現しながら)不当の鉄鎖を打ち砕く時まで闘うのだ。
 息子よ、お前が正しい事に力を注ぎ、苦労の多く冷たい社会を反面教師として生きていれば、遠くない将来にきっとチャンは、懐かしいお前の所に健康な姿で帰っていくであろう。
 そして必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。
 チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。

1983(昭和58)年2月の日記から

出典:http://hakamada-saishin.org/

 

⇓息子さんが17歳の頃に袴田巌さんが書いた日記

 

(1982年)
 12月19日
 チャンは、決して本件の真犯人ではない。チャンが今まなじりを決して一歩一歩進んで
いる道は正義で唯一のものであり、今生の人間の尊厳を守る正しいことであるがゆえに、
わが息子であるお前も父を理解しなければならないのだ。とは言っても、この身捕らえら
れたゆえとはしても、お前を育てる事もできなかったこの父を無条件で信じなければな
らないなどと無理強いする考えは毛頭ない。だがお前は私の息子であった。血を分けた親
子の間柄である以上、父が直面している社会的状況と厳格な歴史の事実を凝視し、清く正
義に立たねばならない。恐らく悲しみのみ多い世間で、後指を指されながらもひたすら耐
え、お前は育った。それゆえ、人間対人間の、いや、親子としての関係さえも放棄抹殺さ
れなければならなかったのかも知れない。確かに親子としての関係としては、単にお前を
もうけ、生んだ父としてあり、お前を立派に成人させる何の力も持ちえぬ現状は、世の親
として痛恨事であるという活字の上での責任を感じているに過ぎないのかも分からない。

 お前は、この世に生まれて間もなく世の荒波にさらわれた。世間の酷と厳しさを体で知
るために生まれた一つの悲しい星だ。だからお前をはぐくんでくれた暖かいお婆さんの心
と学園だけがお前の学びの場であったと思ってはならない。差別を持って罪なき人間を縛
っているこの世代の誤解のなか、お前も一度だけ来たことのあるかんごくのほこりと汗ま
みれのなかで、不断に身悶えているチャンの生命、その生命の尊厳は何であり、その最大
の願いは何であり、今日どのように打ち砕かれているか、あるいは今後はどのように実を
結ぼうとしているのか、どのように花咲かせ実を結ばせなければならないか、こうした課
題、問題意識を袴田巌を救う会並びに袴田巌救援会の現実からくみ取っていかねばならな
い。そしてこれと真向から取り組んで生き貫く人生こそ、人間として偉大さの成就が保証
されるのである。私は今度の濡衣でお前の面倒をみてやることができなかった。本当にす
まなく、悔しくてならない。今も痛烈な無念で肌あわだっている。そして誤判による死刑
判決という恐るべき呪われた姿で、緊張と危機にさらされた哀れな市民の姿をお前に直接
的にみせたという点においては、これこそ父たる私が全身全霊で示すことができた、唯一
最大の教育ではなかったか?

出典:https://kumamoto.yoka-yoka.jp/

 

獄中で息子さんを想っていたことがひしひしと伝わってきますね。

 

 

 

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袴田巌さんの息子の現在は?

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/

 

袴田巌さんの息子さんは1964年に生まれているので、2023年で59歳になります。

息子さんがいるという存在は明らかになっていますが、氏名や顔画像など個人が特定できるような情報公開はされていません。

 

現在どのような暮らしをされているのか、袴田巌さんと交流があるのかなど不明です。

 

 

 

 

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