古賀稔彦さん(53)2021現在の顔画像!息子颯人さんが挨拶!谷本歩実らコメント!


日本中から惜しまれる声が止まりません。

著名人も、次々と哀悼の意を示しています。

みんな「信じられない」と口を揃えて言う

古賀稔彦さんの急死。

そして、それはお母様もご存知なかったと言うのです。

一体どう言うことなのでしょうか。

 

 

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平成の三四郎

 1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストで24日朝に53歳で死去した「平成の三四郎」こと古賀稔彦さんが、昨年からがんを患っていたことがわかった。関係者が明らかにした。
  昨年夏にがんの手術を受けて静養していた。闘病を続けて一度は回復に向かったが、今年になって腹水がたまるなど症状が急激に悪化していったという。
 古賀さんは1967年11月21日生まれ。佐賀県出身。中学1年で数々のメダリストを輩出した柔道私塾「講道学舎」に入門した。日体大に進学後、芸術的な一本背負い投げが得意で「平成の三四郎」と称された。世界選手権に3度優勝(89、91、95年)、バルセロナ五輪金、96年アトランタ五輪銀と2大会連続メダルを獲得した。
  日本選手団の主将を務めたバルセロナ五輪では、大会前に78キロ級代表の吉田秀彦との乱取り中に左ヒザを負傷。出場すらも危ぶまれる中、痛み止めを打ちながら金メダルを手にした。2000年に現役を引退後は日本女子代表のコーチを務め、03年には私塾「古賀塾」を開き、07年から環太平洋大の女子柔道部総監督として指導に当たっていた。

https://news.yahoo.co.jp

日本中が悲しみに包まれています。

柔道五輪金メダリストで「平成の三四郎」と呼ばれた、

古賀稔彦さんがけさ、神奈川県川崎市の自宅で

53歳で亡くなりました。

事務所の発表で、がんで闘病中だったと言うことが

明らかになりました。

バルセロナオリンピックでは、

試合直前に大怪我をおってなお、

金メダルを獲得したことから、

「もう一度奇跡を」と、

関係者は祈っていたそうです。

 

 

 

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昨年夏にガンの手術

 

関係者によると、古賀さんは昨年夏にがんの手術を受け、

静養していたとのことです。

闘病を続けて一度は回復に向かったそうなのですが、

今年になって腹水がたまるなど、症状が急激に悪化していったの

だそうです。

年齢もお若いことから、進行が早かったのでしょうか。

家族を含め、何人かの柔道関係者には、

ガンのことを告白していたそうですが、その中の一人、

柔道の私塾「講道学舎」(既に閉鎖)で共に鍛錬を積んだ

88年ソウル五輪柔道女子61キロ級銅メダリストの北田典子さん(54)は、

3週間前に古賀さんに電話したのだとか。

その時、「俺、必ず元気になるけん、必ず会おう」と話したのだそうです。

その願いも叶わず…本当に悔しいですね。

 

 

 

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2021には腹水も…

https://www.bsfuji.tv/judo/pub/index.html

こちらは、2021年に撮影されたとされる、

テレビインタビューに答える古賀さんです。

全盛期の頃と比べると、

かなり痩せてしまい、目も虚ろ、とでも言うのでしょうか…

そんな印象も覚えます。

https://www.bsfuji.tv/judo/pub/index.html

しかし、受け答えはしっかりとしていて、

どこまでも気丈に振る舞う様子がみて取れました。

さすが、平成の三四郎です。

この時、ご自分でもなんとか復活してやる、と言う

お気持ちになっていたのでしょうか。

 

 

 

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母親は知らなかった病気

実は、古賀さんのお母様の愛子さんが

同日放送の日本テレビ系「ミヤネ屋」の取材に応じて発覚したことなのですが、

息子の「病気を知らなかった」などと話されたのです。

そして同時に、訃報も同日朝に。

「今朝、長男(古賀さんの兄)から電話がありまして。なくなったということで電話を受けました」

「電話を受けてびっくりした。どげんもいわれん、涙が出ますね、やっぱりね」

つまり、早くにご主人(稔彦さんの父)を亡くされたお母様には、

一切自分の病気のことを伏せていた、と言うことです。

「病気を知らなかった。やっぱり私には『言わないで、言わないで』ということやったらしいんですよ、自分の病気を。それで知らなかった。何の病気かも知らないですしね」

「今テレビ見て手術したとか(知った)。この2、3日、検査入院でいろいろあったらしくて、そこから心配したような感じで、それまでは全然知らなかった」

確かにお母様に心配をかけたくない、と言う思いはあったのでしょう。

そしてお父様も、早くに亡くなっている原因は、ガンでした。

 

 

 

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父親は悪性リンパ腫、56歳で死去

悪性リンパ腫は、年間10万人あたり10人程度の発生と報告されており、日本の成人では最も頻度の高い血液腫瘍です。一言で「悪性リンパ腫」と言っても様々な疾患単位が含まれており、頻度の高いタイプから非常に稀なタイプまで多岐にわたります。悪性リンパ腫は、血液中の「リンパ球」ががん化した疾患であり、主にリンパ節、脾臓および扁桃腺などのリンパ組織に発生しますが、リンパ組織以外にも多く発生します。胃、腸管、甲状腺、肺、肝臓、皮膚、骨髄および脳など、体のあらゆる臓器に発生する可能性があり、発生した部位により症状および診断の契機が異なります。正確な診断に基づき適切な治療を行うことで、根治させる可能性のある疾患です。

https://www.ncc.go.jp/jp

悪性リンパ腫とは、血液のガンと呼ばれています。

血液に腫瘍、と言われるとピンときませんよね。

ですが、ガンであることは確かです。

夫を早くに亡くされて、

さらにその夫よりも早く息子にも死なれてしまったお母様のお気持ち、

想像して胸が締め付けられますね…。

 

 

 

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最期は眠るように…

https://mainichi.jp/

 亡くなった状況について、

愛子さんからのお話で詳細を知ることができました。

「今朝、お嫁さんが起きないからきないから『起きて』って。そうしたらもう起きなかったから、ということで。お嫁さんのお母さんに電話入れたら、そうんなふうにおっしゃっていました」

まさに、眠るように亡くなったのですね。

このコロナ禍での「最期」のあり方をみていると、

最後に苦しみがなく、自宅で家族とともに

最後の時間を過ごせたことが、一番の幸せに思えてしまいます。

 

出身佐賀県の聖火ランナーを務める予定だった!

古賀さんは、出身地が佐賀県みやき町。

聖火ランナーとして、佐賀県を走る予定だったとのこと。

佐賀県は辞退などの連絡は受けていないと言うことで、

今回の訃報に驚きを隠せない様子でした。

 

 

 

 

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長男が報道陣に「これからは事務所を通じて」

同日午後、営んでいた「古賀塾」の前で、長男の颯人(23)が対応し、「所属の事務所を通してご連絡させていただけます。そちらを確認していただけたら」とお願いした。

https://news.yahoo.co.jp

古賀さんは、日本にとって大きな存在であった以前に、

一人の人間であり、家族もいます。

どうか、大切なご家族を喪って傷ついている遺族の方への

ご配慮を、と願わざるを得ません。

 

 

 

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関係者、著名人のコメント

https://mainichi.jp

 

「柔道をしている子どもさん達に稔彦から習ったものを一生懸命頑張ってもらいたい。『古賀選手から習った』と、生徒さんたちが思ってくれれば思い出やないですかね」

                         ーーーー母・愛子さん

 

「突然の訃報に接し驚いています。とても熱血漢で良い指導を受け、感謝しております。思い出は尽きませんが心よりご冥福をお祈り申し上げます」

                            教え子 谷本歩実

 

驚いたよ。朝7時過ぎに(吉田)秀彦の電話で(古賀)稔彦の訃報を知った。きのう(23日)にも秀彦から電話をもらって「もうもたないかもしれません」と。秀彦はバルセロナ五輪のときに現地でお世話になった井上浄文というお坊さんを連れて、稔彦に会いにいったらしい。お坊さんの手を握り返したけど、言葉は出なかったと。まだ大丈夫だろうと思っていたら、一晩だった。

中略

アテネで谷本を金メダルに導いて、指導者としてもこれから日本を背負っていくべき男だと思っていたよ。思い出話は限りがない。ショックは当分癒えそうにないが、今は安らかに眠ってほしい。

           吉村和郎・元全日本柔道連盟選手強化委員長(69)

 

闘病されていることは昨年からうかがっていて、良くなることを願っていました。私にとって古賀君は弟のような存在。もう会えない、話せないと思うと残念で、寂しいです。

                     元世界女王の山口香氏(56)

 

「突然の訃報に接し、もうお会いできないと思うと悲しすぎます。現役時代は世界中のファンの皆さんを豪快な一本背負いで魅了し、感動させてくれましたし、指導者になられてからも全国の子供たちや多くの方々に広く柔道の素晴らしさを伝えられ、普及発展に多大な貢献をされてきました。最も尊敬する柔道家であり、常に柔道界に新しい風を吹かせてくれた方です。古賀先輩との思い出は数え切れない程ありますが私が中学生の頃からバルセロナ五輪等の大会に一緒に出場し、いつも『亮子、亮子』と言ってかわいがってくださった姿が忘れられません。『平成の三四郎』古賀先輩の優しい笑顔と迫力ある柔道は輝き続けています。ご冥福をお祈りいたします。 谷亮子」

 

古賀さんの突然の訃報にただただ驚きしかありません。
 バルセロナ五輪でケガをしながらの優勝は小学6年の私にとって、とてもかっこよく憧れの存在でした。年代も大学も違いましたが試合会場でお会いした時などは気さくに声をかけてくれる方でした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
                国士舘大学 柔道部総監督           鈴木桂治

 

今はただ驚きと、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。バルセロナ五輪では、古賀先輩が優勝した瞬間、私が金メダルを取ったとき以上の喜びを感じた。2人で勝ち取った金メダルは一生の宝です

1992年バルセロナ五輪男子78キロ級王者の吉田秀彦氏(51=パーク24監督)

ここに挙げきれないほどのコメントが、

多くの著名人より寄せられています。

これほどまでに日本中から悼まれるのは、

ひとえに古賀稔彦と言う人物の魅力に尽きるでしょう。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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